疑問解決記『実体験に基づきながら』

幅広い情報を共有したい。その想いを伝えるために、筆者の体験を絡めて専門的な事から、日常的な事まで幅広く取り扱っていくブログ。

裏千家と表千家って何?


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世の中でたまに見る看板・・・

『裏千家 茶道教室』

「この裏千家って何を表しているんだ?」

と思ってしまった筆者。

実は・・・・

千家とは、千利休の一族が茶道を教えていたことに基づく

千利休家=千家となったのだ。

今回は表千家と裏千家の始まりどういう違いがあるのか

茶道は如何にして広まったのかについて書いていく。

茶道の歴史は、意外と知らないことが多い・・・


最初はNARUTOの技だと思っていた。

裏千家・表千家と聞いて、思い浮かぶのは

裏蓮華と表蓮華だ。

眉毛が濃いロック・リーというキャラが使う技なのだが、

「それに、まつわることかなぁ~」と思っていた。

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これ的な何かだと思ってた

表千家と裏千家の始まりは、千利休の孫にまで遡る

孫(千 宗旦)と子供たちが、茶道教室を始めたのをきっかけに、

茶道の礎が作られていった。

主に、茶道では三千家が主流となっている。

・表千家 (表通りに面していた不審庵で教えていた)
・裏千家 (裏通りに建てられた今日庵で教えていた)
・武者小路千家 (武者小路の道沿いの官休庵で教えていた)

裏・表・武者小路の名前の由来は、

表通りにあったか・裏通りにあったか、どこの道路にあったかで決まった。

なぜ、裏手に茶道教室があるかというと、

千利休の孫である宗旦は、茶道本筋の表千家を三男に任せた。

そして、自分は裏手で茶道を嗜んでいたのだ・・・

宗旦の死後、それを四男が継ぎ、裏千家として確立させた。

これが裏千家の始まりである。


裏千家と表千家は作法とコンセプトが異なる

表千家は、千利休の伝統的な作法を継承しているのに対し、

裏千家は、新たな試みを導入しつつ、時代に合わせて変わりつつあるのだ。

現代社会では、裏千家の方が聞きなじみがあるだろう。

表千家に比べ、教養としての茶道に取り掛かりやすいため会員数が多い。

抹茶といえば、泡立っているお茶を思い浮かべる人が多いと思うが、

あれも裏千家の特徴だ。
(茶道も裏千家はチャドウ、表千家はサドウという)

茶道の流行は富裕層へのアプローチなどによる

茶道の流行は何度かあり、

一度目は、富裕層への勧誘を行い、会員を増やした時、

二度目は、武将たちが高級茶器での振舞を盛んに行っていた時だ。

茶道流行の足がかりとなったのは、

裏千家を女学校への教養として、授業に取り入れてもらったことだ。

以後、茶道が認知されるようになり、活発に発展していった。


茶道が盛んになり、賭博が行われるまでに・・・

茶道が発展することで、お茶で勝負するようになり、
(味や匂いで産地を当てたり、茶を立てて椀の縁に水跡が付かなかったら勝ちだったり)

賭博にまで発展してしまったのだ。

そして、『建武式目』で禁じられるまでに至ったが、
(建武式目は御成敗式目と並んで制定された、主に幕府の方針を定める法)

現在では、七事式の「茶カフキ」として教えられている。

茶道が流行しすぎたため、教えきれなくなった・・・

そこで、茶の精神を教えるために、

7つのことを行おうという、『七事式』が確立された。

花月・且座・廻り炭・廻り花・茶カブキ・一二三・員茶の7項目、

簡単に説明すると、多人数でそれぞれのお茶を立てあったり、

お茶を評価したりする。

言葉がやや難解なため、とっつきにくい気がするが、

堅苦しく身構えるようなものではない。


現在はコロナのため、裏千家はオンラインで学べる

裏千家は色々な試みを行うと言ったが、このオンライン茶道学も同様だ。

コロナウイルスで茶道を学べないため、

週替わりで『茶道に関すること』を配信している。

淡交会の会員になることで視聴可能になる。
(支部に所属したのち、申込書を提出することで会員になれる。)

また、ホテル料金割引などのサービスもあるようだ。

一度、茶道を学んでみては如何だろうか。

https://www.urasenke.or.jp/textm/member/online_course/index.html?from=20201127

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